みなさまこんにちは!
今日は私という人間がどんな風にこの30年間を生きてきたのかを簡単に書いていこうと思います
なぜこんな誰の役にも立たない記事を書こうと思ったのかというと、念願のGoogleアドセンスに合格できて、Twitterで合格したことをつぶやくと、たくさんの人がいいね!をくれたり、コメントをしてくださいました
本当に、ありがたいことです。
そこで今回は私という人間をもう少し深掘りして、同じような境遇や考え方の人がいれば、さらに交流を深めたい‥!と思い、自己紹介を兼ねてこの記事を書くことにしました
家族について

私は九州の田舎で四姉妹の次女として生まれました
4歳年上の姉と年子の妹、9歳下の妹がいます
両親は離婚していて、私達姉妹は全員母にひきとられ、母は私たちを養うために働いていたので主に祖父、祖母にお世話になりながら育ちました
祖母の家のすぐ近くに家を借りて女5人で暮らしていたのですが
やはり母一人で子供4人を養うのは大変だったようで、我が家はよく電気やガス、水道が止まっていました
学校から帰って電気をつけようとすると、つかない‥。
またか〜と思いながらそのまま祖母の家に行っていました。
あるときはお風呂に入ろうとしたらお湯が出ない‥。
またか〜と思いながら仕方なく水を浴びたり、祖母の家でお風呂に入らせてもらったり。
ライフラインが止まるのは日常茶飯事でした。笑
その当時はお母さんしっかりして〜と思っていましたが、今なら分かります。母も相当大変だったんだよなーと。
私の母は能天気で、家計の収支の管理を全くしない人でした
収入が少ないので仕方ありませんが、我が家の収支は毎月赤字のようで、祖母や伯母に何度も援助してもらっていた事を大人になって知りました
お金のことだけではなく、他にも家族の問題はたくさんありました。義理の父が原因で家族の仲に亀裂が入ったことも何度もあります。あの頃は子供ながらに相当辛かったです‥。それでも私達4人をしっかり育ててくれた母、祖父、祖母、伯母には感謝しかありません
高校中退

私は地元の小学校、中学校を卒業して、公立の高校を受験しましたが中学の時ほとんど勉強していなかった私は公立の高校を落ちてしまい、滑り止めの私立高校へ入学しました
その高校は女子校で、メイクしてスカートを短くしたり、髪を染めてみたりしてちょっとだけ調子にのっていました。笑
それでも高校ではしっかり勉強をしていて、地元の大学の教育学部に行きたい!と考えていました
高校1年生の時の三者面談で担任の先生から、
「テストの成績も良いですし、〇〇大学(私が希望する大学)へ進学するのは十分可能ですよ」
と言われた時は嬉しかったのを今でも覚えています
その三者面談の後、
「すみませんが、お母様だけ残っていただいて、少しお話がしたいのですが‥」
と担任に言われ、私は先に教室を出ました
その時私はなんとなく母が何を言われているのか想像がつきました
きっと授業料のことだ‥‥
母は学費を払っていないんじゃないだろうか‥そんな気がしたんです
そのあと母と合流して、何の話だった?と聞いても誤魔化されましたが、おそらく授業料のことだろうけど、まぁ大丈夫だろうくらいにしか考えていませんでした
そして、母からは「先生はああ言っていたけど、大学まで行かせるお金はないよ」と言われました
私はそこで必死に説得したり、自分でバイトを始めれば良かったのですが、
それなら就職すればいいか〜と割とあっさり将来への方針を変えました
就職するにしても少しでもお給料が良いところがよかったので、勉強は怠りませんでした
2年生になると、さらに勉強をするようになり、一年生の時よりもテストの成績が良くなりました。自分でも私ってやればできるんじゃん〜なんて考えていました
学年主任の先生からも、「県内でも有名なホテルの〇〇ホテルに就職するのはどう?推薦してあげる」と言われていたので、将来はホテルで働くのもいいか〜とぼんやり考えていました
2年生も終わり、修了式の何日か前に学年主任に呼ばれました
メイクのことか、髪の色のことかな〜と思いながら職員室へ行くと
「親御さんから聞いてると思うけど、あなたは進級できないの」
と言われました
私は母からそんな話は全く聞いていなかったので、え?何の話?という感じで、え?!親御さんから何も聞いてない?と先生に驚かれました
先生が説明してれたのは、学費が一年の時から全く払われていないから進級できないこと、選択肢としては
- このまま退学
- 一旦休学にして、お金を貯めてからもう一度通学
と言われ、当時の私は下の学年に友達居ないし、留年って恥ずかしい‥と考えて、留年するのはどうしても嫌でした
そこで退学を選んだのですが、学年主任の先生から
高等学校卒業程度認定試験という制度を教えていただきました
高等学校卒業程度認定試験とは、文部科学省が実施している、高等学校を卒業してない者の学習能力を評価して、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかを認定する試験のことです
この試験に合格すると、将来大学を受験することも可能だそうです
ありがたい事に、2年生までの単位はもらえたので、本当は8教科〜9教科は受けないといけませんが、あとは日本史と世界史を合格するだけで認定してもらえるとの事。
正直その話をされた時の私は、そんな試験の事より、
学校を辞める
この事実のインパクトが強くて、高認試験のことはそうなんだ‥くらいにしか聞いていませんでした
その話を聞いた帰り道、泣きながら帰って、親友といえる友達3人にだけ学校辞める事を伝えました
家に帰ると珍しく母が家にいて、
「ごめんね」
とだけ言われました
謝ってもらっても私は学校を辞めないといけないし、せっかく勉強がんばってきたのに‥私の時間を返してよ!私はどうしてこんな家に生まれたんだろう、もっと普通の家庭に生まれたかった‥と心の中で何度も思いました
高校最後の登校日、
もうここに来ることはないのか〜と考えながら最後のホームルームをしていると、突然クラスのみんなが立ち上がって、Kiroroのベストフレンドを歌ってくれました
私はクラスの2人にしか辞める事を伝えてなかったのですごく驚きましたし、泣けて泣けて仕方ありませんでした
私のためにたくさん動いてくれた先生も、退学する事になった私のためにみんなで歌を練習してくれたクラスメイトも、すごく人情味溢れた優しい学校だったな、と思います
あの時ほど学校という場所の良さを感じた時はありません
働きながら高認試験を受ける

こうして私は高校を中退することになり、次の日から私はどうすればいいんだろう‥と考えながらひたすら家でダラダラしていました
すると母から「なんでもいいから働きなさい」と言われ、とりあえずタウンワークを見てバイトを始めることにしました
履歴書の書き方からバイトの面接での服装や受け答え方など、学校では習わなかったことを手探りで勉強しました
ただ、どうしても17歳というのがネックでなかなか希望のバイトが見つかりません‥
募集事項に18歳以上と書かれているのを見る度に途方に暮れました
それに高校中退なんて、やはりいい印象はありません
応募の電話をかけると、一応面接はしてくれるのですが、手応えはほとんどありませんでした
とにかく面接を受けなくては!と思い、何件も受けては落ち、少なくとも10件は落ちたと思います
そしてケーキ屋さんの面接を受けた時、けっこう長く面接したので、もしかして‥と思っていると最後に面接官の人が「採用!明日からお願いします」と言ってくれたんです
私は嬉しくて嬉しくて、面接が終わってカフェを出た後にすぐに母に採用になった!と電話しました
それからケーキ屋さんで働いてお金を稼ぐことの大変さ、仕事の素晴らしさを学びました
だから自分で稼ぐということが嬉しくて、誇らしかったんだと思います
このケーキ屋さんで働いてる時に、学年主任だった先生に言われるままに高認試験を受けました
その時の私は働くことが楽しかったし、この試験の重要性を分かっていなかったので先生が言うから仕方ない‥という感じで受験しました
やる気がなかったので勉強も全くしていません
世界史と日本史を受けて、結果は日本史はなんとか合格したのですが、世界史は不合格になってしまいました‥。
学年主任の先生に世界史が落ちてしまったことを伝えた時、先生からはまた次世界史だけ受ければいいから!と励ましてもらいましたが、私は高認試験のことはすっかり忘れて、仕事と遊びに明け暮れていました
それから5年くらい経ち、23歳の時に当時勤めていたアパレル会社を退職し、これからどうしようかと考えている時に、もう一度高認試験を受けて、きちんと認定をもらおう!と決めました
高認試験で合格していれば大学に行くことも可能です。少しでも自分の可能性が広がるなら‥と思い、前回は全く勉強しませんでしたが、世界史の参考書を買いに行き、毎日少しずつ勉強しました
自分の意思で受験を決めて、しっかり勉強もしたので今回は絶対に受かる!という自信がありました
結果は無事合格。
合格証書をもらい、私の人生において可能性が広がったことを実感しました
生きていく上での可能性

結局その後私は大学は行かずに今の会社に就職しましたが、高認試験を受けたことは本当に良かったと思います
履歴書に書ける学歴は中卒ですが、自分の力で合格できたことが自分の自信になりました
私は行こうと思えば大学へも行ける!この事実があるだけで気持ち的に全然違います
私の将来を考えて道を教えてくれた先生には本当に感謝です
また、高校中退したことで失ったものはたくさんありますが、得たものもたくさんあります
高卒で働きだした同級生よりも一年早く仕事を始めたことで、周りより早く大人になれた気がしましたし、みんなと違う状況になって苦しい立場になっても、その気になって頑張ればこんな私でもできるんだ!と自分に自信がつきました
高校中退したことで私は人生で初めて挫折を味わいましたが、あの挫折を乗り越える事ができたから、私は強くなれたんだと思います
あの頃は嫌いだった母のことも今はとても大切に思いますし、大好きです。
今そう思えるのも、17歳の時の私が自分に負けずに踏ん張ってくれたからです
色々な失敗や後悔をした人ほど、それを乗り越えた人ほど、強くなれます
この30年で色々なことがありましたが、その全てのことが私には必要で重要なことだったんだと思います
その中でも両親の離婚と高校中退は私にとってすごく大きなターニングポイントでした
今でも仕事や人間関係で辛くなった時に思うんです
両親が離婚した時や高校中退したあの頃、本当に辛かったけど、なんとか乗り越えてきたんだから、私なら大丈夫。そう言い聞かせるとなんだか自信が湧いてきます
私のような人生を歩んできた人、私以上に辛い経験をした人、世の中にはたくさんいると思います
それでも人間って生きてる限り無限の可能性がありますよね
他人や環境のせいにはせず、自分の人生は自分で切り開いていくべきです
私は死ぬ時に、あーいい人生だった〜と思えたら私の人生万々歳だと考えています
そんな人生を送れるように、自分や周りの人、限りある時間を大切に生きていこうとと思います
私の30年を語ったしょうもない記事になりましたが‥少しでも共感してもらえる人がいたら嬉しいです
それでは また
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